【旅日記:2016年10月21日(金)】
石川県七尾市 → 福井市
6時50分起床。
昨日、つるほど疲労していた足に違和感なく、ほっとする。
7時20分に朝食。 もともと安い宿泊費にセットの食事だから期待はしていなかったが、納豆・冷奴・卵焼き・味付け海苔・たくあんがちょっとずつと、超低い期待すら裏切らない質素さ。 部屋に湯沸かしポットはあったけれど、湯呑なし当然ティーパックなどもなし。 駅近くのわりに安いと思って選んだ宿だったが、これで4000円越えは損した気分・・・。 8時32分にチェックアウトして、コンビニに立ち寄り、8時39分に駅前バスターミナルに着いた。
今日も陽が差してまずまずの天気だが、風は冷たい。
日陰にいると寒い。
風除けのガラスに囲まれたベンチに座ってバスを待った。
七尾城には「まりん号七尾ルート」で行く。
8時58分にバスが着て、定刻の9時ちょうどに発車した。
9時15分、城史資料館前バス停で下車。 しかし、バス停は介護施設(らしき建物)の前。 資料館はどっちへ進めばよいかと左右を見ると、バスが走り去った方向の道に見覚えがある。 学校のような四角い長い建物が左側にあって、その先に右に曲がる道があり、目的地はその先・・・。 もちろん、過去に七尾に来たことはない。 いつの記憶か最初はわからなかった。 とりあえず、その方向へ歩き始めると、いつだったか夢で見た景色であることを思い出した。
100m程進むと、右側に分岐する小道があった。
その分岐点に、城史資料館の方向を示す緑の看板があった。
これまた見覚えのある景色・・・そもそも、なぜその夢をいまだ覚えてたのか、それだけでも不思議なのに、それが正夢となり鳥肌が立った。
道を渡って小道へ入ると、すぐに七尾城史資料館があった。
ここを、七尾城訪問のスタート地点とする。
七尾城訪問のレポートはこちらをご覧ください。 11時6分、駅から乗ってきて降りたバス停に戻る。 来たのと反対方向へ行くバスのほうが、早く駅に着くけれど毎時40分発予定。 循環バスなので、乗ってきた方向のバスでも駅に行ける。 遠回りになるけれど、こっちは毎時13分発予定なのですぐにバスが来る。 結果的にこちらが早いと判断した。
11時17分、バスが来た。
乗っていた乗客は4人だけ。
一旦は駅から遠ざかっているのだが、周回して駅に近づくので乗客はだんだんと増えてくる。
ルミナスというビルの前でほとんどの人が降りた。
次に七尾駅に行くのかと思ったら、そのまま等伯コースを走り出した。
駅に行きたいならここで降りるようアナウンスてくれたらいいのに・・・運転手さん。
結局、等伯コースを一周して11時57分に七尾駅前のバス停に着いた。 七尾城コースと等伯コースの二つのコースを連続して走るのが「まりん号」だということを、思わぬ遠回で学んだ。 遠回りしても100円均一だから、まあいいか。 金沢方面への次の電車は、「花嫁のれん号」だったが、これは全席指定なので、持っているきっぷでは乗れない。 でも、珍しい車両なので、近くで見たく、12時5分改札を入り到着を待った。 待つ間に昨夜食べ残したバナナ2本を昼食として平らげた。 かなり力を入れている観光列車らしく、到着間際に、出迎え見送り要員の駅員多数が1番線に整列しはじめた。 列車には、中居姿のアテンダントが乗っていて乗客を出迎えている。 12時16分に花嫁のれん号は発車。
12時20分に同じホームに降り返し金沢行となる普通電車が到着。
自分がまっていた場所のドアからは降りる乗客がいなく開かないまま。
ドアを開けるボタンもない。
昨日学んだので、慌てることなく手でドアを開ける。
乗る客も少なく、4人掛けのボックス席を独り占め。
12時25分、列車は定刻に発車。 計画より早い電車に乗ったので、金沢城に今日立ち寄ろうかと迷う。 ネットで調べると、金沢に着くのは14時前。 ゆっくり城を見るには時間が足りないかもしれないと思ったのと、更にネットで、福井駅の近くに城址があることを知りまっすぐ福井に向かうことにした。
13時38分、津幡着。
金沢着は、13時52分だった。
到着した3番線から、13時56分発のサンダーバード26号が出る2番線へ急ぎ移動。
自由席車両の7号車に乗車。
定刻に発車した。
ほぼ満席だったのでデッキに立って車窓を見ていたが、14時25分、最初の停車駅の加賀温泉で二人掛けシートの空きがいくつかできたので車内に入って着席した。
14時31分、芦原温泉に停車し、14時42分、福井駅5番ホームで下車。 改札を出たら、まず、一乗谷方面に向かう九頭竜線の時刻をチェック。 恐ろしく使い勝手の悪いダイヤだったので、電車はあきらめて、バスを使うことにして、乗場や時間をチェック。 納得いくまで調べ終えた時には、15時を過ぎていた。 その時にいた西口側をちょっとうろつき15時7分に写真を撮影。 動く恐竜のモニュメントがあった。 時々、鳴いたりもする凝った造り。 東口にも面白いものがあるのでは・・・と期待してそちらに向った。
東口への期待は裏切られた。
さすがに、ロボットに近いモニュメントを駅舎の両側におけるほど豊かな財政ではないよな~。
それより、こちら側は北陸新幹線の延伸広報に躍起になっている感じ。
15時13分、東口の写真を撮影して再び西口に戻り、15時18分、福井城址に向かって歩き出す。
15時24分、福井城址入口の御本城橋に到着。 めちゃめちゃ駅に近い。 城址内は福井県庁と県警本部に占拠されていた。 堀と石垣はしっかり残っていて、高崎城よりはずっとマシだけど、石垣の保存状態はあまり良くなさそう。
15時33分、天守跡に到着。
ここだけは、城址そのもの。
徳川家康の次男、結城秀康を祖とする福井松平家の城で、幕末にも城主の松平春嶽が維新史に名を残すなど、歴史的な価値は文句なし。
県庁や県警を置かず、歴史資料館のある公園にでもしていたら日本100名城に選ばれただろうに・・・と思ったけれど、遊び場より県内の行政と治安をになう中心拠点として使う方が利用価値は高いか。
でも、県庁や県警は他の場所でもいいけれど、福井城址はここだけなんだよね。
天守跡から御廊下橋を見下ろせる。 橋の周辺を工事している。
天守から降りようとしたときに、傾いて隙間だらけの石垣(もはや、石垣みたいな物)があることに気が付いた。
傍らに、1948年6月に起こった福井震災で崩壊したままにしているという解説があった。
70年近くも放置していることに呆れつつも、それほど経てば、明日にでも次の周期の大地震が来るかもと恐ろしくなった。
この日の夜のニュースで、石垣を見た時刻の約一時間半ほど前に鳥取県で震度6弱の地震が起きていたことを知ったときは、マジ、福井でなくてよかったと思った。
15時43分、議事堂側の北門から城址を出る。 堀沿いを半時計周りに進み、15時48分、御廊下橋前に到着。
御廊下橋周辺は工事中で橋は通行止め。
石垣を修復中のようで、もはや放置できないところまで来ているということか。
15時50分、福井城址から撤収。
城址横の広場を突っ切り、今夜の宿泊先の福井パレスインの場所確認に向かった。
15時56分、大通りを挟んだホテル正面に着いたが、チェックインには少し早いと思ったのと、夕食を買うため再び駅方向へ向かう。
福井駅西口に向かって左側(北側?)はオフィス街、右側(南側?)は商店街という印象。 しかし、商店街といってもコンビニやスーパーマーケットがなかなか見つからない。
16時6分、歩き疲れて西武百貨店近くのベンチで一休み。
10分程して再度歩き始める。
駅に面した通りに、ようやっとスーパーマーケットを見つけ、弁当とか買い終えたのが、16時33分。
そして、ホテルに向かい16時50分にチェックインした。
アサインされた部屋は、302号室。 今日と明日の二泊。 昨夜泊まった宿より、安くてきれい。 それだけ競争が激しいということか。 泊まる側には、うれしい限り。 山登りをした割に今夜は元気。 福井は民放が2つしかなく、テレビを見ていてもつまらない。 今日取った写真を取り込んで整理したりと、パソコン作業をしているうちに23時が過ぎていた。 |