【2014年4月28日 岩村城訪問レポート】
岩村歴史資料館
岩村歴史資料館
 10時54分、岩村歴史資料館に到着。 前もって調べて月曜日が休館日なことは知っていたけれど、ゴールデンウィーク期間くらいは開けてくれるのではないかとかすかに期待していた。 だが、きっちり休館だった。 お役所の運営なんだろうね・・・。 休館日は岩村振興事務所内の恵那市教育委員会に百名城スタンプがあるとの貼り紙があったけれど、そこへの道順の案内はない。 気が利かないな~と思いながら、i-Padでネット検索して道順を調べた。
 歴史資料館から近そうだったので歩いて行くことにした。 歴史資料館の片隅に櫓とそれに続く門があった。 門をくぐって道路にる。 振興事務所に向かう途中、何人か歩いている人とすれ違ったが、皆、観光客らしき人ばかり。 さびれた街という見かけ(今日だけなのかも知れないが)によらず集客力があるようだ。
歴史資料館敷地内の櫓   敷地外から見た櫓
歴史資料館敷地内の櫓   敷地外から見た櫓
 街中をながめながら、ゆっくり歩き、11時23分に振興センターに到着。 建物内は広かった。 無遠慮にもカウンターの向こうで仕事をしていた職員にスタンプの在処を尋ねたら、置いてある所まで連れて行ってくれた。 これは、予想外の対応。 気が利かない歴史資料館の悪印象が一気に払拭された。
岩村振興事務所   町内の消火栓
岩村振興事務所   町内の消火栓
石垣を基礎にしている家   城址へ向かう沿道の建物
石垣を基礎にしている家   城址へ向かう沿道の建物
地中から引上げる電線
地中から引上げる電線
 スタンプを押し、11時27分に振興事務所を後にした。 歴史資料館から来た道を逆に辿る。 あらためて見ると、至る所に消火栓があるが、赤くない。 古風の演出に相当こだわっているみたい。 石垣を基礎にしている家は単に古いだけのようだが、古くはなさそうな建物もそれなりで建築規制があるのだろう。 メインストリートらしき通りには電柱がなく、各戸、地中から電線を引上げている。 しかし、歴史資料館が休館の日は街じゅう休業日なのか、昼前だというのに地元の人が商売に打ち込んでいる姿が全くない。 相当の気合いをいれて街づくりはしたものの、今となってはゴールデンウィーク期間中でさえそれを利用する活力がないという雰囲気が満ちている。
歴史資料館の岩村城地図
歴史資料館の岩村城地図
 11時39分、歴史資料館まで戻った。 歴史資料館の看板で、岩村城への道のりを確認してから登山開始。 石畳の道で足元は悪くないが、登り始めから急な坂で、終わりまでこのままなのかと不安になった。 しかし、100m毎に表示される本丸までの残り距離の案内に救われた。 最初の表示は800m。 100m進むのに2分要した。 平地なら2分もかからない。 それだけきつい坂道だった。
 残り300m付近で石畳は終わった。 登り道の至る所に石垣があり、登っている途中でもここが城跡だと実感できる。 金山城や八王子城の山道を登っている時には味わえなかった、初めての感覚だ。 残り200mまで来ると見所が沢山あって、進むのが遅くなる。 12時2分に本丸跡に到着。
 20分少しで登れる距離も手ごろだし途中に見所も多く、観光地としてのポイントはかなり高い。 実際、登っている途中で、頻繁に降りてくる人とすれ違い、来場者が意外に多いと思った。
城跡への道(登り始め)   城跡への道(残り600m地点)
城跡への道(登り始め)   城跡への道(残り600m地点)
城跡への道(残り300m付近)   六段壁
城跡への道(残り300m付近)   六段壁
本丸跡を示す標
本丸跡を示す標
 空は少し雲が多くて、抜群の見晴らしとは言えないが、風が心地良いし、眺望にも満足。
本丸からの眺望
本丸からの眺望
 本丸跡を歩きまわり、12時7分に下山開始。 きつい坂は、下る時のほうが膝に負担がかかって辛い。 早歩きとならないよう、慎重を心がけて歩いた・・・つもりだったが、12時24分に歴史資料館に着いた。
 戦国時代は防衛に適するという大きな価値があったのだろうが、それ以後は利用価値のない土地。 そのおかげで400年以上もの間、再開発されることなく残った。 利用価値がなかったことが今の価値になっている。 岩村城跡は、自分が訪問した百名城26城の中で一番当時の姿(地形)をとどめている城跡だと思う。 下手に人気が出て、竹田城のようにならないことを願う。