【2019年3月22日 赤穂城訪問レポート】
 8時20分、赤穂城に到着。 まずは、周辺地図の看板で城内の訪問コースを検討。
地図看板の赤穂城部分   大手門と大手隅櫓(外側)
地図看板の赤穂城部分   大手門と大手隅櫓(外側)
 8時30分、見学開始。 大手門を抜けると虎口様にくねくねと道が曲がっているが、そこを通り抜けると「なんだ、門しかないのかよ!!」と思ってしまう一般道路のような道に出た。 道端に電柱が立ち、道路標識まで付いている。 ここには城址の雰囲気が全くない。
大手門(内側)   大手門を抜けて行き着く道
大手門(内側)   大手門を抜けて行き着く道
 しかし、左前方ずっと先を見ると門や石垣らしきものがある。 パソコンなしで仕事な成り立たなくなってからというもの、近眼がひどくなる一方で遠くの景色に気を配らなくなっており、気づくまで時間を要した。
大石神社
大石神社
 一般道と思った道の右側に大石屋敷がありその裏手に大石神社があった。 8時36分、神社境内に入り参拝した。
 参拝を終え、神社正面の参道をとおって戻るときに、両脇に赤穂浪士全員(たぶん)の石像があることを知った。 彼らが命を懸けたものは何だったんだろうか。
武家屋敷公園入口門
武家屋敷公園入口門
 自分も昔は「忠臣蔵」に感動できた。 「お家」を「会社」に置き換えて見ることが出来たから。 仕事が楽しくて仕方なかった頃のこと。 今では、城めぐりの方が楽しくて仕方ない。 「会社から」も「会社にも」期待がない関係に、「命懸け」などあろうはずがない。
 清水門跡を目指して歩く途中で、武家屋敷公園に迷い込んでいた。 門があって、くぐってみたら、「武家屋敷公園」との表示があり、8時44分、公園を通り抜けてきたことを知った。
清水門(外側)   清水門(内側)
清水門(外側)   清水門(内側)
 8時46分、清水門跡に到着。 一旦外側に出て写真を撮って、内側に戻った。
二之丸門跡
二之丸門跡
 8時49分、二之丸門跡に差し掛かった。 桜の木が何本かあったけれど、咲きそうな気配は全くない。 案内板がなければ、門があったとは知らずに通り過ぎただろう。 明治当初の頃まではあったらしい。 案内板に写真が載っている。 門を撤去することは不思議ではないが、石垣や礎石はなかったのだろうか…と後から思った。 もっとしっかり写真を見て置けばよかった。
 8時53分、本丸門前に着いた。 本丸門を抜けたそばに百名城スタンプが置いてあった。 城跡内に係員はいなく、無人で放置ある状態。 借りる手間なくスタンプをゲット。 そう言えば、本丸内に清掃やらの整備をしている人が何人かいたが、城跡に来てから案内係やガイドらしき人を見かけていない。 元々いないのか、業務時間前なのかどっちなんだろう?
本丸門(外側)   本丸門(内側)
本丸門(外側)   本丸門(内側)
 本丸門を抜けると、目の前に本丸御殿跡がある。 建物があった場所をコンクリートで盛り上げている。
本丸御殿跡   御殿跡には昔の部屋名を表記
本丸御殿跡   御殿跡には昔の部屋名を表記
 盛り上げた部分には、何の部屋だったかを示す板が埋め込んであった。 想像を掻き立てることをしてくれじゃないかと、ちょっと感心した。
 御殿跡の上を突っ切って、9時1分、厩門口前。 くぐって外側に出て写真を撮ったら直に本丸側に戻る。
厩口門(内側)   厩口門(外側)
厩口門(内側)   厩口門(外側)
 またまた、御殿跡を突っ切り、9時3分、天守台のそばまで来た。
天守台
天守台
 階段をのぼり、9時4分、天守台の上に立つ。 なかなかの広さ。 どんな天守があったのだろうか。
 本丸を一望できる。 本丸にも庭園があるとは、こちらも広め。 台の上に直接立ってこの眺めならば、天守があったとして、そこからの眺めはどんなに素晴らしいことか。 赤穂といえば塩…特産品があって裕福な藩だったのかな…でなければ、後の世に残る復讐劇なんか演じないか。 「仕事が楽しくて仕方ない」と言えるのは、それなりに経済的欲求も満たしてくれなければ「楽しい」なんて思えないだろう。 毎年の昇給額が1万円を超えていたバブル時代は、特に「楽し」かったな~~。 仕事に一生懸命で、あの時に家を買うことを考えなかったことは、後に本当に幸いだったと思った。
天守台の上部   天守台から見下ろす本丸
天守台の上部   天守台から見下ろす本丸
 天守台を降り、9時8分、刎橋門跡に至る。 橋が架かっておらず、ここから外に出ることは出来ない。
 9時12分、本丸を時計回りに一周し終えて本丸門から出る。
刎橋門跡(本丸側)   復元中の二之丸庭園
刎橋門跡(本丸側)   復元中の二之丸庭園
 本丸を出ると、左側に二之丸庭園の門がある。 9時14分、中に入ってみた。 庭園は復元中、行き止まりになっており、引き返すしかなかった。
 庭園復元と言いつつ、作業員は一人も見当たらない。 年度予算を使い切って休工中なのか。 城跡全体に、広さに見合う投資額を確保できていない寂しい雰囲気が漂っている。 忠臣蔵の精神が外国人に理解できるとも思えず、インバウンドの波にも乗れないのだろうと推測する。
塩屋門跡(内側)   塩屋門跡(外側)
塩屋門跡(内側)   塩屋門跡(外側)
 9時30分、塩屋門に到着。 ここで城址を出て、赤穂城訪問は終了。