【2024年11月7日 岡山城訪問レポート】
10時40分、岡山城入口に到着。
城の案内図で見学コースを確認。
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岡山城入口 |
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城内案内図 |
10時45分、廊下門をくぐる。
門までも緩い上り坂だけど、くぐった先は更に急な階段になっている。
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廊下門(外側) |
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廊下門(内側) |
階段を上った先は「中の段」という名の広場。
入口からも見える月見櫓をまず見に行く。
10時48分、月見櫓前着。
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月見櫓 |
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中の段広場 |
昔建っていた建物の部屋割りを示す線が地面に埋め込まれている。
そしてそこが何の部屋だったかが書かれたプレートも埋め込まれている。
10時53分、不明門をくぐって本段に上った。
この門は平たんな所に建っていて、くぐった先が階段になっている。
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不明門(外側) |
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不明門(内側) |
本段広場を突っ切った先に天守閣がそびえている。
天守閣への途中にある移設した礎石や門をまず見る。
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本段広場 |
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天守閣礎石(移設) |
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六十一雁木上門(内側) |
10時56分、天守礎石の写真撮影。
今の天守は再建された建物。
鉄筋コンクリート造りで再建するので、元々の礎石はここに移設したらしい。
10時57分、六十一雁木上門前。
閉まっていてくぐれないため、外側は撮影出来ず。
11時2分、天守閣の入口で入場券を購入。
JAF会員か尋ねられて、会員証を提示したら2割引きになった。
百名城スタンプがここに置いてあり、ここでスタンプゲット。
入口は本段の地面と同じ高さだけど、天守閣の建物として地下1階とされていた。
外側からは天守閣を支える石垣に見せているけれど中身は展示室。
エレベータがあったりして、少し…いや、かなり興覚め。
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天守閣 |
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天守閣 地下1階 |
地下1階には、岡山城の年表が展示してあった
11時9分、階段で1階に上がる。
「体験コーナー」と題して、鉄砲を構えたりして遊べる空間になっていた。
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天守閣 1階 |
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天守閣 2階 |
11時12分、2階に上がる。
ここは「城主の間」というタイトルがついていた。
西国を抑える重要拠点を任されるのだから池田家は格が高かったのだろう。
10万石を超える大名は案外少ない。
格の高さと経済的な豊かさは別かもしれないが、格が高いほど見栄えを保たなければならなかっただろうと思えば当時の城を見てみたくなる。
建物内に木造感が全く無い今の天守閣のあり様がますます残念に思えてくる。
11時14分、3階に上がった。
ここのテーマは「それぞれの関ケ原」
中国地方を制覇していた毛利が負け組となり、毛利系の宇喜多家・小早川家が中継ぎで治め、最終的に池田家・・・確かに「関ケ原」は時代の大きな節目だ。
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天守閣 3階 |
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天守閣 4階 |
11時19分、4階に上がる。
ここは「岡山、戦国の表舞台へ」。
毛利が最盛期の頃は広島が中心で、岡山は中国の東の端にすぎなかっただろう。
しかし、東京が中心の今となっていは東京に近い岡山のほうが都会的な感じがする。
毛利の衰退が岡山を発展させたのか。
11時22分、5階へ上がった。
地下1階からかなり気合が入った展示である。
じっくりと読込む気力は最初からなく、ななめ読み駆け足で見てきたけれどそれでも20分が限界。
もはや5階は眺めるだけだった・・・ごめんなさい。
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天守閣 5階 |
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天守閣 6階 |
11時23分、6階の展望室に上がる。
はめ殺しのガラス窓越しにしか外を見れない造りは最低。
鉄筋で再建しながら、外を回廊にする構造になぜしなかったのだろう。
おまけに格子で眺望が台無し・・・刑務所の設計者に造らせちゃったのかな。
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6階からの眺望(北側) |
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6階からの眺望(西側) |
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6階からの眺望(南側) |
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6階からの眺望(東側) |
11時28分、6階展望室から降り始める。
11時33分、地下1階の売店に入る。
売店を眺め、トイレに立ち寄り、11時40分に天守閣を出た。
11時46分、廊下門から出て岡山城訪問は終了。
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