【2019年9月1日 徳島城訪問レポート】
駐車場の隣に公衆トイレがあって、その外壁に徳島中央公園(徳島城)の地図が張ってあった。
そこで見学コースを検討。
お城の構築物としてそこから一番近い数寄屋橋を徳島城訪問のスタート地点にすることにして、12時37分歩き始める。
駐車場も堀の内側にあるため、12時42分、数寄屋橋の内側に到着。
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数寄屋橋(内側) |
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数寄屋橋(外側) |
堀にかかる橋を渡り、外側に一旦出た。
外側に橋の説明書きがあった。
江戸時代ここには「不明門」があってそこから出入りするための橋だそうだ。
不明門は、城内での死者の搬出とか凶事に際して使う門だったんだって。
渡った後に不浄な場所と知らされるのは、よい気分はしない・・・。
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石垣と堀 |
しかし、最後に不浄な場所で終わるよりは、最初に済ませて後から見る場所で清めていけばいいやと思い直して、12時47分、鷲の門を目指して堀沿いを歩き出す。
12時50分、鷲の門前に到着。
「徳島城跡」の石碑もある。
ここが正面入口なのだろう。
不浄な裏口から出たことを、表口から入り直すことでお清めになる・・・なんてなことを思う。
平地にぽつりと門ばかりがある。
門をくぐっても虎口があるわけでもなく、石垣の間を通る体にもなっていない。
なんて無防備なお城なのだろうか・・・と思いつつ、ベンチで一休み。
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鷲の門(外側) |
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鷲の門(内側) |
12時59分、徳島城博物館前に到着。
料金所らしきところで入場料を払おうとしたが、なんだか話が噛み合わない。
入場料を受ける気配を全く見せず、庭園を見るのかとうかばかり聞いてくる。
よくよく話を聞けば、ここは庭園を見るだけの人の入場口で、博物館の入場料は博物館で払えということだった。
博物館で百名城スタンプをゲット。
展示はいろいろあったが、蜂須賀家の生き残り話が一番おもしろかった。
豊臣から徳川に時代が変わろうとしていることを敏感に感じ取り、外様でありながら江戸期時代一貫して徳島を治めたところがすごい。
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徳島城博物館 |
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城山に登る石段 |
13時22分、博物館を出た。
城跡の中に山があり、そこに東二の丸、本丸、西二の丸がある。
13時27分、山の階段を昇り始める。
鷲の門のあたりは無防備と思ったけれど、いざという時の天然の備えが城内にあったんだ。
13時30分、東二の丸跡に到着。
東二の丸跡には立ち入らず、さらに上にある本丸を目指しすぐに歩きはじめた。
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東二の丸跡 |
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本丸跡手前の石垣補修 |
本丸直前の階段が、石垣補修で狭くなっていた。
石垣っぽい補修だが、石が小粒で元からある石垣とは明らかに違っている。
いつまでこんな状態にしておくつもりなのだろうか?
13時34分、本丸跡に到着。
雨が降り始めた。
本丸には屋根がある施設が全くない。
あっという間に雨脚が強まり、木の下に逃げ込んだが13時37分このままでは濡れる一方と悟り、屋根がある所へ急ぐことにして本丸を出た。
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本丸跡 |
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西二の丸跡 |
13時40分、西二の丸まで進む。
ここにも屋根がない。
雨の中、急いで写真を撮って先に進む。
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蒸気機関車保存施設 |
石段を急いで降りて、平場まで来て建物があった。
13時44分、建物に飛び込む。
蒸気機関車が置いてある駅舎のような建物だった。
すでにびしょ濡れになっていたが、気温が高く風もなかったので助かった。
階段に面したベンチ風のイスに腰掛け、雨が通り過ぎるを待ったが、13時50分頃からは雨どいから水があふれる程の豪雨になった。
こんな激しい雨は10分も続かないだろうと思ったが、14時過ぎに一旦少し弱まったものの、また強まり14時10分まで激しく降り続いた。
左足のふくらはぎが痒い。
雨宿りしている間に、蚊に刺されたようだ。
一匹だけだったようで、刺されたのは一か所だけだった。
14時16分、濡れることを気にせずに歩ける程度の小降りになったので建物を出て駐車場に向かって歩き始めた。
14時22分、駐車場敷地内到着。
大雨で清められたという落ちで、徳島城訪問を終了。
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